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『逃げるは負けではない。
自分を取り戻すための究極の手立てだ』
はあー。最近、好きな小説が読めない。書けない。
漫画や映画も楽しむ時間がない。
育児はともかく、仕事に追われていて、なんだか、自分の人生を浪費している気がします。
ああ。
一人になりたい。
一人で、何も食べず、一心不乱になって好きなことに打ち込みたい。
そんなぼくが手に取ったのは、田中慎弥さんの『孤独論 逃げよ、生きよ』です。
田中慎弥さんは、芥川賞を取った作家ではありますが、自身には10年以上の引きこもりの過去もあり、芥川賞を取るまでの道のりは平坦だったわけではありません。
だからこそ、この人の思う孤独論について詳しく知りたいと興味を持ちました。
田中慎弥の小説は面白い?
いきなり正直に言うと、ぼくは田中慎弥さんの小説はそれほど好きではありません。(すいません、悪口のつもりではないです)あくまで、感性が合うかどうかの問題だと思います。あるいは、2017年6月のぼくには、この人の小説は合わない。そういうことです。
でも、そんなぼくも田中慎弥さんの芥川賞を取るまでの経歴や『賞をもらっておいてやる』発言は面白いな、と、思っていて、この人のキャラクターや人柄には興味があります。
田中慎弥の孤独論の痺れた言葉たち
では、田中慎弥さんの孤独論、読んでいて痺れた言葉をいくつか紹介していきたいと思います。(長いものはぼくなりに短くまとめています。)
あなたはいまのままで本当に幸せですか。
あなたはいまのままで本当に幸せですか。
自分を損ねていませんか。
ならばそれは幸せと呼ぶべきものなのでしょうか。
自分の人生を自分の足で踏みしめようとしたことがありますか。
人生の手ごたえはそこにしかないと思うのです。
奴隷とは
毎日が残業続きで、起きている時間のほとんどを仕事に拘束されている人。体力の限界ぎりぎりまでハードな仕事を課せられている人。つまり明らかに追い詰められて、自分を見失っている人は、典型的な奴隷状態に陥っている。仕事(雇用主)の奴隷です。
かつての夢から視野を広げる
自分の好きなことは、そっと大事にしておきたい。仕事に絡めるのは抵抗がある。嫌いになってしまったらどうするのか。
そうした気持ちが湧くかもしれません。それはそれで人情として理解できます。でも長い年月、ずっと好きだったものを、そうそう簡単に嫌いにならないし、嫌いになろうと思ってもできない。それも人情です。あと、すこしくらいのリスクは背負わないと、現状は打開できません。
不必要なものをどんとん遠ざけていったら、手書きのアナログな作家という生き方に行き着いた
高校生のころすでに周囲との違和感をはっきり感じていました。だれかと喧嘩したわけではないし、いじめに遭っていたとか、反抗的だったとか、そういうのもないのですが、どうにも馴染めていないという感覚はつきまとっていました。
(略)
部屋に独り閉じこもり、鉛筆を握って小説を書いているのは、不向きなことをすべて自分の身辺から取り払った結果ともいえます。
これだと思うものだけを続けて、そこから不必要なものをどんどん遠ざけていったら、手書きのアナログな作家という生き方に行き着いたということです。
ぼくも、そういう生き方がしたいです。
今の時代あれもこれもと手を出しすぎて、結局、何も実を結ばないという結果に陥る人も多いです。
そういう意味で、田中慎弥さんは、自分にとって必要なものが分かっていて、ミニマリズムの生き方を意識的か無意識的か実践していると言えます。
これと対極的な生き方をしているのがホリエモン?なのかなと思います。『他動力』とか書いてますしね。
ただ、ホリエモンの場合、動かしているお金の額が田中慎弥さんと違うので、どちらも否定できるものではないのですが。
要するに、いろいろな生き方を試してみて、自分に合った生き方をしよう、ということですよね。
社会は人間に成熟を要請します
社会は人間に成熟を要請します。安定し、落ち着いた、分別ある振る舞いができてこそ一人前。当たり前ですね。日々オシヨセテクル仕事をこなし、家族などのコミュニティでの役割をまっとうするには、いつまでも馬鹿をやつまえいられない。人間は成熟する必要がある。
一方で、人間はそう簡単に成熟しないという事実もあります。常に落ち着き、分別をわきまえた行動をとるのは、なかなか難しい。表向き、きちんと振る舞えるのなら、それで充分だし、大したものです。だから未熟さとは、あなたの素顔とも言える。その素顔を大切にしてほしい。
田中慎弥さんは手書きの小説家
田中慎弥さんは、手書きの小説家ということらしいです。
手書きといえば、原稿用紙に鉛筆で書いている、ということですよね。
現在の作家の多くがパソコンに、キーボートを打って文字を書いているのにも関わらず、田中慎弥さんは手で書き続けている。これは、なぜなのでしょうか。
それは、田中慎弥さんいわく、文字を刻み込む実感や体を使って言葉を産み落とすような感覚が、小説を書く上でしっくり来るからなのだとか。
また、田中慎弥さんは、パソコンだけでなく、携帯電話やスマートフォンも持っておらず、電子メールも扱ったことがないそうです。
それは、なんだか、不便じゃないのかな、と思わなくもないですが、絶対に必要かと聞かれれば、そうだとは言い切れません。むしろ、パソコンやスマホの便利さに依存するあまりに、いつの間にか、機械に自分の生き方を操られている節があり、とても危険です。
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