【今読んでも面白い!】村上春樹のフィッツジェラルド愛、大爆発のエッセイ集『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』

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アメリカ文学

村上春樹さんのことをもっと知りたい。
真のハルキストなら、長編小説や短編小説を読み散らかしただけじゃ物足りなくて、エッセイにも手を出したくなります。

今回、紹介する本は、『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』です。
この本は、村上春樹さんのF・スコット・フィッツジェラルドについて書いたエッセイ集および翻訳書。
村上春樹さんのフィッツジェラルド愛がたくさん詰まったエッセイ集です。

村上春樹さんといえば、アメリカの小説家F・スコット・フィッツジェラルドに大きな影響を受けているのは有名ですよね。
フィッツジェラルドは、村上春樹さんの小説にどのような影響を与えているのでしょうか?

この本を読むと、村上春樹さんのフィッツジェラルドに対する考え方や、フィッツジェラルドの魅力が分かります。
インターネットが発達していなかった時期によくここまで調べたな、と感心させられるくらいに村上春樹さんのフィッツジェラルド愛を感じさせる一冊です。
いや、これはもう、フィッツジェラルド愛が大爆発していると言っても過言ではないと思います。

べつに村上春樹ファンじゃなくても、映画『グレート・ギャツビー』や『ベンジャミン・バトン 数奇な人生』、海外ドラマ『ゼルダ』などを観て、フィッツジェラルドに興味を持った人にもおすすめのエッセイです。

F・スコット・フィッツジェラルドが好きな人も、村上春樹さんが好きな人も楽しめる一冊だと思います。

ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブックに収録されているエッセイ・短編小説

ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』は、1988年4月にTBSブリタニカによって刊行されました。
TBSブリタニカと、そのあとに出版された中公文庫版では、エッセイが8本とF・スコット・フィッツジェラルドの短編小説が2編が収められています。

2006年3月、村上春樹翻訳ライブラリーで親書化されたときに、アーノルド・ギングリッチのエッセイ『スコット、アーネスト、そして誰でもいい誰か』の翻訳が新たに収録されました。

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『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』を村上春樹さんが書いた理由は、当時、まだ日本ではメジャーではなかったF・スコット・フィッツジェラルドを少しでも多くの人々に知ってほしかったから。

この本を書くために、村上春樹さんは実際にフィッツジェラルドの故郷ミネソタや在学していたプリンストン大学、妻ゼルダの故郷アラバマ、フィッツジェラルドの作品に出てくるニューヨークなどを訪れています。
そのため、フィッツジェラルドゆかりの地域と彼と彼の作品との関わりについて丁寧に描かれており、単純に作品について書かれたエッセイよりも、より立体的にフィッツジェラルドのことを知ることができました。

いくつか良いなと感じたエッセイについて紹介してみます。

小説の舞台となった過去のニューヨークを当時の地図と観光ガイドを引っ張り出して解説する

エッセイ『コンクリートとガラスの楽園』で面白いと思ったところは、村上春樹さんが翻訳家としてやったアプローチの方法です。
村上春樹さんは、フィッツジェラルドの小説を深く理解するため、1924年のニューヨーク市のガイド・ブックを引っ張り出しています。このようなガイド・ブックは、ある時代のある地域(街)をテーマにした古い小説を読むときに一冊あると役に立ちます。

また、昔の海外文学を翻訳するときに生じる普遍的な問題についても挙げられていました。
どんな問題なのかというと、それは、過去の海外文学を翻訳している際に文中で出てくる固有名詞の中にはどれだけ調べても分からないものもある、ということです。
地名や人名のみならず、レストランやドラッグストアや飲み屋やダンサーの名前などの一部は、どれだけ調べてもそれが何なのかさっぱり分かりません。
まあ、それもそのはずですよね。
1924年のアメリカといえば、日本でいえば大正時代のことですし、場合によってはアメリカ人さえも分かっていないことだってあるでしょう。
でも、こういう分からない固有名詞が出てくる文章をそのまま日本語に訳すと、わけがわからないところがかえってリアルで面白くなるのだ、と言われれば、まあ、確かになぁ、と頷けます(笑)

この『コンクリートとガラスの楽園』というエッセイでは、1924年度版の『ライダーズ・ニューヨーク・ガイド』とニューヨーク市の地図を使って、フィッツジェラルドの短編小説『マイ・ロスト・シティー』を細かく、実証的に、映像的に読んでみる、という面白い試みもされています。

『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』が最初に発行されたのは1988年ですが、現在、読んでみても村上春樹さんがF・スコット・フィッツジェラルドの小説や人生を読み解くために使ったアプローチは今も色あせていないはずです。

映画シナリオライターとしてのフィッツジェラルドはイマイチだった!?

エッセイ『「アラーの園」の人々』では、映画のシナリオ・ライターとしてのF・スコット・フィッツジェラルドがどのような感じであったか語られています。

まあ、見出しのタイトルどおりイマイチだったんですが。。。

グレート・ギャツビー』のような大傑作を書いたフィッツジェラルドは小説家としては天才でしたが、映画のシナリオ・ライターとしてはあまり腕が良いとは言えませんでした。
しかも、映画のシナリオ・ライターをしていたときのフィッツジェラルドは、アルコール中毒気味で小説家としても落ち目でした。
自分は映画シナリオライターには向いていない。
それは分かっていても、フィッツジェラルドはお金を必要とする切実な事情がありました。
妻のゼルダは精神病院を出たり入ったりしているし、娘のスコッティ―の養育費も必要でしたし、出版エージェントとスクリブナー社に借りた借金もありました。

『アラーの園』は、フィッツジェラルドが滞在していたホテルの名前です。
アラーといえばイスラム教における絶対神のことなので、すごい名前のホテルです。
フィッツジェラルドが『アラーの園』で暮らしていたのは一年にも満たない期間です。

『アラーの園』の部屋代は月400ドルとかなり高額でしたが、フィッツジェラルドは安っぽい部屋に住むのなど大嫌いという性格で、また、東部の作家たちとの交流も意義深いものでした。

1937年の7月にハリウッドへやってきたフィッツジェラルドは、1938年の4月まで滞在します。
それは、かれが亡くなる3年ほど前のことでした。

でも、フィッツジェラルドにとって、『アラーの園』での日々は実りが多いものとは言えませんでした。

かれの手掛けた映画シナリオはボロボロでした。
『オックスフォードのヤンキー(邦題は『響け凱歌』)』で書いたシーンはほとんど採用されませんでした。
次に取り組んだのはレマルクのベストセラー小説『三人の仲間』は、映画化不能とされて改作されています。
最後に、ストロンバーグの『背信』のシナリオを書こうとしますが、いろいろな事情があってその役目を降ろされることになります。

これが『アラーの園』でのフィッツジェラルドの創作活動のすべてでした。

アルコール中毒だったのにも関わらず、なんとか酒を断ち、コカ・コーラとコーヒーを飲みまくって、まったく向かない映画シナリオの執筆作業に神経をすり減らし続けるフィッツジェラルド。
かつて天才と呼ばれた小説家が、落ち目となって、自分に向いていないものを、それでも生活のために続けないといけない状態なんて、なんだか悲し過ぎて泣けてきます。
それでも、かれは、ゼルダの夫で、スコッティの父親で、家族を支え続けなければならなかったのです。

家族のために自分に向いていない仕事でも、身体を壊しながら頑張り続ける人って何だか他人事に思えないですよ。。。
家計を支える立場として、とても共感しています。

そんなフィッツジェラルドは、アラーの園の自分に向けて一通の手紙をポストに放り込みました。
そのハガキは今でも残っているそうです。

「親愛なる(ディア)スコット
元気かい? ずっと君に会いたかった。僕は今、アラーの園というところに住んでいる スコット・フィッツジェラルド」

この人は、自己憐憫のやり方でさえもセンスがあるんだなぁ、と感じてしまいました。
ぼくは、このエッセイを読んで、フィッツジェラルドのことが凄く好きになりました。

ゼルダとスコットという二人の完ぺきなカップル

フィッツジェラルドとゼルダの出会いは、1918年の7月、夏のアラバマでした。

アラバマの夏の夜には何かしら人の心を揺り動かすものがある。青い闇の奥にもうひとつのべつの闇がひそみ、その闇と闇ののはざまを蛍が白い光をまきちらすように彷徨う。そこには特別な時間が流れている。すべてがぼんやりとしてけだるく、不均一で、そして心地よい。中西部で生まれ育ち、東部の学校に通ったスコット・フィッツジェラルド中尉の目には、それはまるで異国の光景のように映った。少し手をのばしさえすればいろんなものに触れることができそうに思えたが、実際には指先は何にも触れなかった。闇は見た目よりもずっと深く、時間は流砂のようにその位置を変えていた。

ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック133P『ゼルダ・フィッツジェラルドの短い伝記』より

こんな夢のような夏の夜に、ひとりの美しい少女に出会ったスコット・フィッツジェラルド。
事実は、恋愛小説よりもロマンティックだなぁ、と思います。

引用した文章については、村上春樹さんの『螢』という短編小説のラストにも少しだけ通じるところがある気がしました。
『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』は1988年4月に刊行され、『ゼルダ・フィッツジェラルドの短い伝記』が書かれたのは確実に1988年4月以前のことでしょうから、1983年1月に発表された『螢』と、同じような時期に書かれたか、あるいは、ずっと村上春樹さんの心をこのような情景が捉えて離さなかったのではないでしょうか。

ちなみに『螢』は、新潮文庫として出ている『螢・納屋を焼く・その他の短編』に入っています。
また、この本に同じく入っている『納屋を焼く』は、2018年に韓国は発表された映画『バーニング 劇場版』の原作となっています。

このエッセイを読むと、いかにゼルダとう女性が魅力的だったのかが分かります。
そして、彼女の生涯が如何に波乱万丈だったのかも。
フィッツジェラルドとゼルダ・セイヤー(ゼルダ・フィッツジェラルド)について知りたい方におすすめなエッセイです。

というわけで、気になったエッセイをいくつか紹介しましたが、また、気が向いたときに残りのエッセイも紹介するかもしれません。
ここで紹介していないエッセイも、どれも魅力的なので興味がある方は『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』をぜひ読んでみてほしいですね。

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